大坪拓摩(おおつぼ たくま)
株式会社日本デザイン 代表
業界No.1のWEBデザインスクールを運営する株式会社日本デザイン代表。
マーケティング、デザイン、コピーライティング、広告運用など現役の実践者として今なお研鑽を重ね、同業の各方面からアドバイスを求められる指導者的存在。
数々の実績が評価され2020年、世界が注目する国際スポーツイベントで全国津々浦々、日本中の人を巻き込む大事業にも参画予定。
かつては大企業の会社員。そこから未経験でフリーランスWEBデザイナーとして独立。
元々は大手ゼネコンの会社員をしていました。その時、ネットワークビジネスに誘われ、「会社員の未来は基本先輩の現在以上になりえない」と言われて納得し、人生を変えようと思って会社員を辞めました。
小さい会社だったら先輩を超えることはありえますが、大企業は100%無理に近いですよね。それまでにアフィリエイトやFX、株もやっていましたが余りしっくりこなくて、そうなるとネットワークビジネスしかないと当時思ったんです。
でも余り稼げなくて、1年半くらいやったんですが辞めました。実はその間、特殊な記録を樹立していて、セミナーへの誘導率が100%だったんですよ。
−ネットワークをやると友だちが減るとか言われる中、すごい記録ですね。
そうですね、友だち1人も減らなくてむしろ増えたって感じです。
でも営業成約率が100%でセミナーに誘導できても全然稼げなくて、なんだこれと思ったんですけど、育てるのが下手くそだと気づいたんです。
なので、育てなくても稼げる方法と思ってフリーランスになりました。
−今までやってきたことを活かしてフリーランスになられたのでしょうか?
いや、ゼネコンでは現場監督だったので、個人事業主になってもお金になりません。
当時ランサーズやクラウドワークスが少し名前が出始めた頃で、楽天もビジネスマッチングをやっていました。そこに乗っかった感じでデザイナーとして起業しました。
皆から言わせると特殊かもしれないですが、デザイナーの経験はゼロ。
とりあえず個人で稼げるのは何だろうって思ってWEBデザイナーとして起業しました。
会社創業のきっかけは“学生の頃の体験”
大学は美大で建築学科に通っていました。
学祭の執行部になり、作り手に回った時があったんですが、本当に楽しくて、「学校巻き込んでイベントができる」、これですごく青春を味わいました。
大人になった時もそれをやりたいと思ったんですが、実際社会人になってみたら全く違っていて。
そこで辞めてネットワークを始めたんですが、稼げなくて情けなくて、家族にも会わせる顔もないし、人としてクズみたいなもんだと思っていたから、フリーランスとして独立し、半年で月収150万円を達成しました。
−フリーランスで順調だったのに、なぜ会社を創業しようと思ったのですか?
学祭みたいなことをしたいな、とずっと思ってたんです。
個人で150万円稼いだけど、当時24歳。周りの友だちは普通の会社員。俺だけ金があっても遊べないんですよね。自分で稼いだ金で遊ぶのは当時の俺のルールで、奢るとかは論外だったので。
そんな中、個人事業主の時に色んな所に誘ってもらって、当時気に入ってくれてた社長さんが大企業の取締役とかいる食事会とかに誘ってくれて行ったんですが、色が違いすぎて。
俺としては分不相応な場所です。友だちになれないじゃん、と思ったし、友だちになっても付き合いきれない。
そこで同世代と一緒にいるには会社作ったほうがいいよねって思ったんです。
「日本の国力を上げる」「日本の働き方生き方をデザインする」を理念として会社を創業
−大きなビジョンを掲げているので「無理なんじゃないの?」って言われると思うのですが、貫いた理由は何ですか?
確かにそうですね。経営者から生意気な若造と言われることもあります。
貫く理由は決めてるから、それだけです。無理かどうかとか関係なくて、本当に無理だったら、死ぬときに無理と決まるだけで、俺の中で達成すると決めてるだけです。
−なぜそこまで強くビジョンを達成すると決めているんですか?
それ以外の選択肢で終わったら人生がつまらないから、ですね。
なんで大きなことしたいのかと言ったら、高校の時にファッションショーを主催したことがきっかけです。
女の子にヘアメイクとか服を作ってあげたらすごく喜ばれたんです。こんなに人に喜ばれることがあるんだって思って自分の中で衝撃でした。
それまで仕事は辛いと思ってたんです。
当時高校3年生、進路を考えてなくて、この体験がきっかけになって美容の専門学校と服飾の専門学校を漁りました。でも日本人全員を俺が喜ばせようと思ったら寿命足りないと気づいたんです。
そこで大きなものに取り組もうと思い住宅にして、美大の建築学科に進みました。
でもオシャレだけど寒すぎたり、住むのに快適じゃない家ってあるじゃないですか。それが腹立つなーと思って、それで「オシャレよりも住む方が大事」だと思ってゼネコンに入りました。衣食住って基本ですしね。
−すごく行動にも想いにも「一貫性」がありますね。
そうですね。
ゼネコンに入ったのは大きいことしたいという理由もありました。それで都市開発で六本木の大きなビルの現場監督をしました。
でも、次にやりたい大きいことがなくて、国を作るくらいしかなかったんですよね。調べたら分かるんですが、国を作れる場所も限られているし、資本力もいるし。
そこで大きなことをと思って、人を作る仕事になりました。
かつての松下幸之助のように人を育てて国力を上げることはできるって思ったんです。
大坪拓摩にとって「生き方働き方を良くする」とは
−大坪さんが思う「生き方働き方を良くする」事に関してもう少し詳細を教えてください。
社会的に見て、電車に乗ったら皆不幸そうじゃないですか。
あれ幸せそうって言える人間は余りいないですよね。
こうなると、働いている大半の人は仕事がつまらなくて不幸だと言い切っていいと思うんです。すごく嫌じゃないですか。子どもたちに余り見せたくないんですよね。
大半の人が仕事がつまらないのは、「やらされているから」です。
そのストレスで家に帰って子どもがうるさいと「俺はお前たちのために働いてやってるんだぞ」ってなって叩いたり、それがトラウマで子どもが非行に走ることもあります。
そういうのは未然に防ぎたいんです。
今発生している分は帳消しにはできないですが、これから発生する数を減らすことはできます。
−だから楽しさにこだわるんですね。
そうですね。働く仕事の内容をいかに楽しくするか。
だから日本デザインでは「皆の働き方を直接的に変える」ことをしています。
「お前たちのおかげで俺は楽しく働かせてもらってるよ」って家族に言えるようになったら、社会全体が簡単に変わると思いませんか?
今どき新しいモノもサービスも要りません。家電製品の改善開発も要りません。もう十分ですよね。新しいパソコンとかも要らないし、新しい携帯も出たら皆こぞって買うけどなくたっていいわけだから。
その証拠にガラケーの時と人間の幸福度は変わってないんですよ。
日本デザインの生き方働き方を良くするというのは、直接的に働き方にフォーカスして「皆が楽しく働けるように」とサービスを提供していくことです。
自由な社風は大学の部室がイメージ
−他の会社から転職してきた人が本当に自由な社風だと驚きますよね。
真面目に仕事しているけど片手にはぬいぐるみを持っていたりとか、誕生日はケーキが運ばれてきたりとか、笑い合う声が聞こえたりとか…
本当に自由ですよね(笑)
俺的には大学の部室をそのまま再現しています。
−大学の部室というと?
深夜まで働く子もいるんです。別に強要はしていませんよ。
深夜なんて生産性は朝の5分の1です。価値的には大したことないので、残業して頑張っている、なんて評価はしません。
でも、その時間まで楽しい、徹夜でやっているっていう学生の頃のサークルの感じじゃないでしょうか。
学祭の前の日の夜、みたいな感じです。そこで寝て朝早く作ればもっと早く終わるのに、なんか楽しくてやってしまう。
これが幸福度と直結するんです。
それをただリアルに再現しているだけですね。日本デザインは大学の部活です。
−普通の職場だったらうるさいと怒られそうですね(笑)
うるさいよね(笑)
まぁ部室だから。
一度オフィスに来てくれたら分かると思います。
気になる方はぜひ一度遊びに来てください。
質問や感想があればご記入ください